トピックス(2017年9月掲載分)

夏休みに校舎の修繕をして生徒の安全性を高めています2017年09月19日掲載

今年も夏休み中に、校内のあちらこちらで修繕工事を進めました。
聖ヒルダ記念館や南館では、外壁改修という大がかりな工事が行われました。タイルが一面に張られている香蘭女学校の校舎は、危険がないかを常に点検しています。そしてたとえ問題がなくても、定期的に改修をしてより生徒がより安全に学校生活が送れるようにしています。
南館では、その2階・3階の図書室で、電灯がすべてLEDに交換されました。
さらに東館では、校舎北側外にある非常階段の改修が行われました。
ほかに校内各所で、例えば本館から講堂棟につながる渡り廊下の階段部分の塗り直しなど、細かいところまで丁寧に改修をしています。
校内の安全性がより高まって二学期が始まりました。

5ヵ月間のカナダ中期留学参加の生徒、summer schoolを修了2017年09月18日掲載

今年度から、カナダのプリンスエドワード島にあるGrace Christian School(GCS)とのご縁をいただき、約5ヵ月間の中期留学プログラムを開始しました。初年度の今年は、高等科1年生2名が参加しています。先に現在の2人の様子をご報告しましたが、その続報です。
Grace Christian Schoolのsummer schoolは、8月1日から25日まで行われました。そこでは主に、1.vocablary、2.phonics、3.reading & speaking、4.writing の英語のスキルを上げるための授業を受けました。授業は1コマ45分で、休み時間は15分。休み時間にはみんなで学校の外に出てちょっとしたお菓子をもらって食べたり、小さい子どもたちと一緒に走り回ったりして、リフレッシュする時間を過ごしました。
2日目の8月2日には初めてのschool tripがありました。車で30分位の所にある島へ行き、魚捕りをしたり、自然散策をしたりし、午後はビーチに行ってスカベンジャーハントをして、ペアとなった生徒との仲を深めることができました。
8月6日は第1主日。教会へ行き聖餐式に参加しました。
8月9日は2回目のschool trip。Canoe Coveというキャンプ場に出かけ、トランポリン、ブランコ、アーチェリーやカヌーなどを楽しみました。
何度もあった夏のschool tripの最終回は8月23日でした。まず教室でプリントが配られ、スーパーにある物を英語で何と言うか練習をし、その後実際にスーパーへ行ってスカベンジャーハントをしました。引き続いて調理実習。マッシュポテト、生姜と人参の炒め物などを作りました。この日は最後にシャーロットタウンにあるプリンスエドワード島最大の図書館に行きました。
2人のステイ先のご家庭も素晴らしく、さまざまな機会を作ってくださっています。また、学校の先生も優しく、ジムなどいろいろな場所に連れて行ってくださったり、お宅に招かれたりして、2人はあたたかく守られていることに安心感を抱いていました。
8月25日はsummer schoolの最終日。各授業ではテストがあったり、ゲームをしたりして、最後に表彰式がありました。香蘭女学校からの2人はそれぞれ2種類の賞状をいただきました。

香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(7)2017年09月17日掲載

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。

 

これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

 

来年その会場となります立教学院展示館では、この8月より来年の2月20日までの期間、ポール・ラッシュ生誕120年を記念し、企画展【わが人生、日本の青年に捧ぐ -知られざるポール・ラッシュ物語- 】を開催しています。

関東大震災直後の日本に、全壊したYMCA会館の再建のため米国聖公会の信徒の一人として渡ってきたポール・ラッシュは、立教大学で教鞭をとるとともに、聖公会のリーダー養成団体であるBSA(聖徒アンデレ同胞会)の日本支部を創設し、その活動場所として山梨県の清里を選定します。現在の清泉寮や聖アンデレ教会をはじめとした諸施設をポール・ラッシュは建設し、そこでの青年たちの活動をKEEP(Kiyosato Educational Experiment Project)と命名しました。そのKEEPの農場で現在は、香蘭女学校の中等科2年生が毎夏、酪農体験の校外活動を行っています。香蘭女学校の中等科2年生にとってポール・ラッシュは、「ポールさん」「ポールおじさん」と呼ぶほど親しい存在になっています。また、清里の清泉寮のすぐ裏手にあるポール・ラッシュ記念館には、香蘭女学校の女性宣教師からポール・ラッシュに送られた手紙も大切に保管されています。

香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(6)2017年09月16日掲載

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。

これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

 

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第3回です。

 

 

《香蘭女学校の歴史 3 学校設置願の提出・認可から開校まで》

 

英国国教会(聖公会)は、前述の通りC・M・S(Church Missionary Society、教会伝道協会あるいは宣教協会)とS・P・G(  The Society for the propagation of the Gospel、福音宣布協会あるいは福音伝播協会)の2つの伝道協会が別々に日本伝道を始めました。1886年に第2代日本主教として派遣されたエドワード・ビカステス主教は、男子の伝道団の聖アンデレ伝道団に対して、女子の聖ヒルダ伝道団(聖ヒルダミッション)を創設し、その活動の重点を次の4つに置きました。すなわち、1. 伝道活動、2. 日本婦人伝道師の養成、3. 女子教育、4. 診療所開設、の4つです。

このうち伝道活動は、ミッションの本部を中心に各教会と連携をしながら進められました。日本婦人伝道師の養成に関しては、後に聖ヒルダ女子神学校を創設しました。診療所開設に関しては、1891年に香蘭女学校校内にディスペンサリとして聖慈堂病院を創設しました。そして、女子教育の機関として作られたのが香蘭女学校ということになります。

1887年にビカステス主教(37歳)は、その右腕として絶大な信頼を置いていた今井壽道(24歳)の名前で1887年10月22日、「私立香蘭女学校設置願」を東京府へ提出しました。「設置願」の中の「設置ノ目的」項には、「彝倫(いりん)道徳」から始まり「英語学 和漢学 算術 幾何 代数」と続き、さらに「音楽」「裁縫」「礼儀」「毛糸細工」などが教授する科目として記されており、まさにリベラルアーツの学校として創設されたことがよくわかります。翌11月、高崎五六東京府知事の名前で設立は認可されることになります。

香蘭女学校の創立には、前述の英国S・P・Gから派遣されたアレクサンダー・クロフト・ショー師(41歳)や、同じS・P・Gのヴェン・アーマイン・フランシス・キング師(33歳)、さらに日本人では吉澤直江師(23歳)(日本聖公会三光教会の初代牧師)らが多大な協力をしてくださいました。さらに、福澤諭吉とその門下生も設立に尽力したと言われています。

そして翌1888年春の開校をめざして準備が始まります。1888年3月号の「女学雑誌」には香蘭女学校の生徒募集広告が掲載されています。「本校は女子の教育に老練なる英国婦人及本邦人各数名を聘し完全なる女学を授くる所なり」という書き出しで掲載された広告には、「本校は敢えて生徒の衆多なるを好まず欧州教育家の輿論に従い少数の人員を限り親切に教授すべし」という言葉が見られます。一人一人を大切にして女子の教育を丁寧にするという香蘭女学校の伝統は、既に開校前から謳われていたものであったのです。

開校に向けては、当然のことながら教職員が集められました。校長に前出の今井壽道、新潟で教師をしていた長橋政太郎が開校後に呼び寄せられ1888年9月に教頭として着任します。さらに英国S・P・Gから派遣された女性宣教師たちが、香蘭女学校の教師として次々と着任します。

ミス ブラックストン ヒックス(40歳)はその一人で、1887年10月22日に東京府に提出された履歴書が現在も残されています。ミス ブラックストン ヒックスはロンドンでも一二を争う名医ブラックストン ヒックス氏の令嬢で、1887年12月に来日し、香蘭女学校で熱心に教育にあたりましたが、病を得て1890年に帰国します。

シスター マーガレット(年齢不詳)も同様に開校以来香蘭女学校で教授し、重要な役職に就いていたようですが、やはり1890年に帰国します。

ミス ミルドレッド スノーデン(年齢不詳)も1888年から香蘭女学校で教授し、帰国する1908年まで20年間にわたって生徒たちのために働きました。

そして最後に、香蘭女学校創立期最大の功労者、ミス エリザベス ベシー ソントン(35歳)を詳しく紹介しなければなりません。ミス ソントンは1887年12月に来日し、畳町聖十字教会に属し、聖ヒルダ伝道団(聖ヒルダミッション)の女性宣教師の責任者でした。ビカステス主教のもとで幅広く活動し、主教の信頼もあつく、多大な功績を残しました。香蘭女学校では実質的には校長と言ってもよい働きをしていました。遠方からの入学者のために早くから設置した寄宿舎でも長年その館長を務め、1902年には香蘭女学校理事にも就任します。聖ヒルダミッションでの活動としては、前述の聖ヒルダ養老院を開設したのもこのミス ソントンです。また、1891年10月に現在の愛知県・岐阜県を中心に起こった濃尾地震による孤児たちを受け入れる施設として聖ヒルダミッションでは香蘭女学校附属の清蕙幼女学校という学校を創立しました。その中心になったのもミス ソントンです。さらに、香蘭女学校と同じ敷地にあった聖ヒルダ女子神学部でも、ミス ソントンは中心的な役割を果たしています。1904年11月13日、ミス ソントンは病を得てこの日本の地で逝去しました。お墓は青山墓地にあります。享年52歳であったと思われます。ミス ソントンの英語や唱歌の授業は大変厳しく、答えられないと教室から出されることもあったというような逸話も伝えられています。

 

(写真は左より、長橋政太郎、ミス スノーデン、ミス ソントン)

二学期が始まった校内に咲き始めたお花たち2017年09月15日掲載

9月6日の始業式から、香蘭女学校の二学期が始まりました。校内のお花も新たな学期の始まりに合わせたように、秋の光景を見せ始めました。

「西のお庭」の南端には、白からピンクまで色とりどりに、コスモスの花が咲いています。その「西のお庭」の手前、ビカステス記念館のイングリッシュ・ガーデンの奥には、ヒガンバナ(マンジュシャゲ)の白い花が、そして築山中央では同じくヒガンバナの赤い花が、お彼岸前ではありますが次々と開花しています。

イングリッシュ・ガーデンや築山の水辺に咲き始めたのがヤブランの花。これからのシーズンの中心的存在です。

ヒルダ祭にご来場くださる方をお出迎えするためにアプローチ突き当たりの花壇では、園芸係によって植えられたカラジウムの大変珍しい白い大きな葉っぱが圧倒的な存在感を示しています。

ヒョウモンチョウがこの植物をめざして校内に飛来するのも、毎年のこの季節の恒例です。

二学期の防災訓練を前に災害対策備蓄品の確認2017年09月14日掲載

香蘭女学校では毎年一学期と二学期の初めに、全校一斉の防災訓練を行っています。今年度二学期実施の訓練に先立ってこの9月6日、災害対策のために備蓄している物資の確認をしました。

香蘭女学校はいざ大災害が起こっても、校内にいる全員がしばらくの間校舎内で生活できるだけの備蓄を常にしています。その内訳は、ミネラルウォーター、白米、五目御飯、チキンライス、ドライカレー、何種類かのパン、けんちん汁、とん汁、クラッカーやピスコなど保存用お菓子、消毒剤、ボディータオル、簡易トイレ、生理用品、毛布、アルミブランケット、ヘルメット、カセットコンロ、手回し充電式ラジオなど多岐にわたっています。

今回の確認作業では、いざという時の一人分の物資がどのようなセットになるのかを、実際箱から出してみて確かめました。高等科1年の生徒に手伝ってもらい、備蓄倉庫からそれぞれひと箱ずつ、災害時の本番さながらリレーして送り、一ヶ所にそれらを集め、そこで箱を開けて一人分ずつ出してみました。

香蘭女学校では防犯防災対策委員会委員の教職員が中心となって、いつ起こるかわからない大災害の緊急時に備えた対策を常に怠りなく続けています。

二学期の始業感謝礼拝を全校で捧げました2017年09月13日掲載

9月6日、いよいよ二学期が始まりました。例年よりもずっと涼しい朝でした。点呼時間の8時10分までに登校した生徒たちは、久しぶりの友人との再会に、喜びの声をあげていました。点呼のあと、生徒全員と教職員全員が礼拝堂に入堂しました。

二学期始業式の感謝礼拝は、聖歌322番を全員で歌う中、クロスとトーチを掲げたアコライト・ギルドの生徒たちの先導で鈴木校長・高橋チャプレン・青野高等科教頭・井上中等科教頭・高橋生徒部長などによるプロセッションが入堂して始まりました。高橋チャプレンの司式によって全員が式文を唱え、続いて井上中等科教頭が拝読する聖書「コリントの信徒への手紙II」9章6節~7節に耳を傾けました。

続いて鈴木校長から二学期の学校生活に向けてのお話がありました。まず、夏休み前の一学期終業感謝礼拝の中で読まれた聖書「ガラテヤの信徒への手紙」第6章7~8節の中の「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」というみ言葉の続きで、今日の日課の聖書箇所を選んだと言われました。「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」というみ言葉がその箇所です。この夏休み、自分からいろいろなことに挑戦したことと思うが、良い結果が出たものもあれば、上手くいかなかったこともあっかたもしれない、しかし、上手くいかなかった場合も、それをむしろ良いチャンスが得られたと考えるように発想の転換をしてほしいと、鈴木校長は生徒に励ましのことばを投げかけてくださいました。

お話のあとは、校歌を全員で歌い、祈りのことばをみんなで唱えました。

礼拝の最後は祝祷、そして聖歌328番を全員で歌う中、アコライト・ギルドの生徒たちの先導で鈴木校長以下リセッションが礼拝堂から退堂し、そのあとオルター・ギルドの生徒が聖壇のロウソクを消して始業式の礼拝は終わりました。

さて、いよいよ二学期の始まりです。

立教大学生の学習ボランティアによる学習会が行われました2017年09月12日掲載

香蘭女学校の関係校である立教大学の学生のうち、教職課程を履修している学生の学習ボランティアによる学習会が、例年通り8月28日より始まりました。この学習ボランティアは、立教大学の教職課程のプログラムの1つとして設定されているもので、毎年香蘭女学校では8月末の5日間、高等科1年生の希望者対象の学習会に来てもらっています。

1~2名の香蘭生に立教大学生が各1名割り当てられ、英語の学習を、優しく、時には少し厳しく、丁寧に、殆ど個別の指導にあたってもらう充実した5日間です。

お互いにその立場をわきまえながら、しかし年齢の近さもあって親しみも感じながら、集中して学び、教え教わる良い時間を過ごしています。もうすぐ始まる二学期に備え、大切な学びの時となっています。

今年もベタニヤ・ホームでボランティア活動を行いました2017年09月11日掲載

横浜市戸塚区汲沢町に「社会福祉法人 聖ヒルダ会」があります。元々、香蘭女学校の創立当初の女性宣教師であるミス・ソントンが「聖ヒルダ養老院」(日本最初の高齢者施設)をつくったのが1895年。その施設が、これとは別に1952年千葉県八生に設立され後に大磯に移転した「ベタニヤ・ホーム」と1980年に合体して、この「社会福祉法人 聖ヒルダ会」が設立されました。軽費老人ホーム「ベタニヤ・ホーム」がこの法人の活動の中心でしたが、次第に活動が地域から高く評価され、その地域社会の要請に応えるべく「訪問介護 ケアセンター ベタニヤ」「高齢者短期宿泊施設 聖マリア館」「横浜市平戸地域ケアプラザ」の各事業・施設を展開、そしてこの2009年秋からは「戸塚区精神障がい者生活支援センター」を開所しました。

香蘭女学校と聖ヒルダ会ベタニヤ・ホームとの関係は古く、以前より毎年ボランティアで掃除などのお手伝いに出かけたり、部活動が歌や演奏などを披露しに出かけたりしていました。また、現在の聖ヒルダ会の前理事長が香蘭女学校の元チャプレン今井烝治司祭であったことにも両者の縁の深さを感じます。特に毎年夏には、中等科3年のバザー委員が中心となってこのベタニヤ・ホームでのボランティア活動をするのが長年の恒例となっていますが、今年も8月25日にやはり中等科3年の生徒が出かけ、ボランティアをさせていただきました。

今年も例年通り、ベタニヤ・ホーム到着後すぐ、礼拝に参加させていただきました。そして午前中は、このベタニヤ・ホームのベランダと網戸とお風呂の掃除を、4グループに分かれてさせていただきました。まず、ホーム職員の方から掃除のしかたを教わり、今年はホースの水を一切使わずに、ひたすら雑巾で拭いたりブラシで磨いたりして、各部屋のガラスをきれいにしました。

その後、ホームに入っておられる方々と昼食をともにしながら交流の機会を持ち、いろいろなお話をしたり伺ったりしました。香蘭女学校の卒業生の1人でホームに入っておられる90歳近い大先輩も、今年も元気に香蘭生にいろいろなお話をしてくださり、またご自身が作られた見事な刺繍の壁掛けをくださいました。

そのあとはお楽しみ交流会。すいか割りに挑戦したり、お年寄りのすいか割りの補助をしたり、割ったすいかをみんなで美味しくいただいたり、さらには交流会の最後には香蘭女学校の校歌と聖歌308晩を一緒に歌ったりして、ホームの皆様に大変喜んでいただきました。

これまで長い間丁寧に先輩たちが築いてきたように、今後もベタニヤ・ホームとのあたたかい良い関係が続いてゆくことは、香蘭女学校の生徒たちにとってとても大切なことであると感じさせられた今年夏のボランティアの一日でした。

「I Peace」の朗読体験講座の記事が新聞に掲載されました2017年09月10日掲載

既報のとおり、8月12日~15日まで香蘭女学校の生徒有志による平和活動の団体「I Peace」が、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)でボランティア活動を行いました。そのうち14日に、香蘭女学校企画の朗読体験講座として、あまんきみこ作『ちいちゃんのかげおくり』を題材にした朗読を生徒たちが行いました。

その時の様子が、8月15日の読売新聞紙上に記事として掲載されました。「戦争 私たちが語り継ぐ」という大見出しと「空襲体験談 聞いた上で…」「子どもたち参加 朗読講座」という小見出しで書かれた記事には、まず江東区北砂で空襲の被害に遭った竹内静代さん(86歳)が体験談を語られたこと、そしてそのあと『ちいちゃんのかげおくり』の朗読が繰り返されたことが書かれていました。

参加者の一人、練馬区の中学2年生の「逃げまどう情景を想像すると読む気持ちが全然違った。自分も他の人に伝えられるように学びたい」という談話と、朗読指導も行った竹内静代さんの「若い人が目の前で『語り継ぐ』ことを実現してくるのはうれしい。ぜひずっと続けてほしい」という呼びかけが載せられていました。

最後に「I Peace」の創立メンバーの一人で、香蘭女学校卒業生の現大学1年生の「講座を受けた後は読み方が変わり、悲惨さが伝わった実感があった。活動の幅を広げながら継続していきたい」という話で記事はまとめられていました。

香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(5)2017年09月09日掲載

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。

これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

 

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第2回です。

 

 

《香蘭女学校の歴史 2 創立者エドワード・ビカステス主教》

 

病気で退任した英国聖公会C・M・SのA.W.プール主教の後任に、英国聖公会S・P・Gのエドワード・ビカステス司祭(35歳)が選出され、来日し英国聖公会第2代日本主教として就任したのが1886年のことでした。

エドワード・ビカステスは、1850年6月26日、英国ノーフォーク州の田舎町バニングハムで生を受けました。父であるヘンリー・ビカステスは、ロンドン近郊の田舎町ハムステッドの教会で30年間奉仕を続け名牧師として知られた人で、1885年にエクセター教区主教に聖別任命されています。

敬虔さと強い愛情に結ばれた両親、大勢の兄弟、姉妹たちの中でエドワードは育ちましたが、特にエドワードが父に抱いていた尊敬に溢れた親愛の情は美しく、後に戦争になった時に父子はそれぞれ主教として地球の反対側にいましたが、多忙な生活の中で毎週愛情一杯の手紙の遣り取りをしたそうです。なお、エドワードの母は1872年に逝去し、その後父ヘンリーは再婚しましたが、この夫人も敬虔な人物で前夫人の遺児たちを大切にしました。

エドワードは1862年に家から3マイルほど離れたハイゲートの学校に入学し、そこで7年間学びます。最終学年では学業では首席、クリケット部の優秀なメンバーでもありました。1869年にケンブリッジ大学のペンブローク校に入学。1873年にB.A.の学位を取得し、翌1874年には神学に於いて優秀賞を得ました。B.A.学位取得の年の降臨節にはロンドン主教によって執事職に任ぜられ南ハムステッドの聖三一教会の副牧師となりました。

ペンブローク校では特待研究者として神学科の講師に選ばれ働いていましたが、その時インドへの熱心な宣教師T.V.フレンチ司祭と出会います。この出会いによってエドワードは、自ら志願して1877年に「ケンブリッジ大学デリー伝道団」の一員としてインドに派遣されることになります。インドでの5年間には多大な働きがありましたが、1882年に赤痢に罹り帰国を余儀なくされました。

帰英し療養してかなり回復した頃に、プール主教の後任としてカンタベリー大主教ベンソンの胸中に真っ先に浮かんだのが、このエドワードでありました。1886年2月2日、ロンドン聖パウロ大聖堂に於いて主教に按手聖別され、3月6日には英国を出発、4月9日に長崎に到着、同24日には大阪聖三一教会で信徒按手式を司式し、5月3日には早くも大阪で「英国聖公会在日C・M・S宣教師年会」を開催します。米国、英国C・M・S、英国S・P・Gの3ミッションが別々に伝道していた聖公会を、米国聖公会のウィリアムズ主教と手を取り合って、翌1887年に一気に一つにまとめ上げて日本聖公会という組織に作り上げたS・P・Gビカステス主教の、C・M・Sへの働きかけの第一歩です。主教は同じく5月には東京入りして、まずはS・P・Gのショー司祭宅に落ち着きました。休むことなくすぐに、日本語の学習に本格的に取り組むとともに、日本の教会の教務を研究し、日本の教会の法規の草案作成にとりかかります。

エドワード・ビカステス主教の人柄を、当時の主教を直接知る英国人旅行家イザベラ・バード(1831~1904)は、「深みと優雅とを併せ備えた学識や博学ぶり、キリスト教会史や教義についての驚くべき知識、東洋の信仰に関する精緻で知的な素養、見事な対話能力、鋭い洞察力や鋭敏さ、見解の広さ、鮮烈な英国国教徒らしさ、生真面目さ、日本の教会の将来に関する広い見解、献身的で一途な努力、伝道活動への専心、無私な日常生活、子供たちを愛する気持ち、冗談好き、他者への思いやり、理知的な誠実さ、純粋で裏表のない生き方……」など、筆の限りを尽くして愛情と尊敬をもって紹介しています。

 

(写真は左より、ビカステス主教とその家族、ビカステス主教、イザベラ・バード)

夏休み真っ最中の校内に咲いている花たち2017年09月08日掲載

今年の夏休みは、8月中旬まで雨が降り続けるという異例の気候でしたが、夏の学校行事等はそのような天気とは無関係に、元気な生徒たちによって展開してきました。

校内の築山などに見られる香蘭の自然は、いつもの夏と同じように夏らしい景色を見せていました。

花が少ない夏ではありますが、8月初めには体育館棟の西側でたくさんのカノコユリの目立つ花が開花していました。築山の奥の方なので、夏休み中の生徒たちがこの花を見かけることはあまりなかったかもしれません。

7月から咲き始めていたビカステス記念館前のサルスベリのピンク色の花は、8月中はずっと満開で、アプローチに華やぎをもたらしていました。

同じサルスベリでも、香蘭ではいつも遅れて咲き始める体育館棟の西側の樹の白い花は、8月半ば過ぎから次々と咲き始めました。まさにサルスベリの競い咲きです。

そしていよいよ、季節は夏の終わりを迎えようとしています。

「I Peace」が東京大空襲・戦災資料センターでボランティア2017年09月07日掲載

これまで何度かこのホームページでもご紹介しましたが、キリスト教センター主催の校外活動「広島平和学習」に参加した生徒たち有志で昨年発足させたグループ「I Peace」の活動が、この夏休みも行われました。

8月12日から15日にかけて、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)でボランティアを行ってきました。展示品の解説を資料ごとに分担を決めて来場者に説明するというものです。事前に研修を受けていたものの、資料の背景を調べたり小学生にわかりやすい説明を心掛けたりと、自分たちの勉強にもなりました。逆に、来場された方から当時の詳しいお話を伺ったりする機会もあり、お話は生徒たちにとってとても参考になりました。

また、14日は香蘭女学校企画ということで朗読体験講座を行いました。あまんきみこ作『ちいちゃんのかげおくり』を題材としましたが、背景を考えること、気持ちを想像することで朗読のしかたが全く変わることを、来場者にも実感して頂けたと思います。来場者の方々からは、「若い世代が平和を伝える活動をしてくれて本当に嬉しい」という声をたくさんいただきました。また、小学生からも、「高校生が活動していることに刺激を受けました」という感想をもらいました。

この14日の様子はNHK総合テレビ18:00の首都圏ニュース、また翌15日付の読売新聞でも報道されました。

皆さんの応援を背景に、I Peaceは今後も活動を継続していこうと、生徒たちは改めて思ったようです。

イギリスのケンブリッジ大学での語学研修報告 第7弾2017年09月06日掲載

今年のケンブリッジ大学での語学研修も順調に進み、ついに最終日を迎えることになりました

8月15日(火曜日)は、午前中の英語の授業は、研修最後のいわば卒業試験にあたるスピーチが午後に控えているので、その準備をしました。テーマは「My Time in Cambridge」。最初に、このテーマでどのような構成で語ってゆくのかを指示してもらい、続けて一対一で聞いてもらって指導を受けたり、あるいは香蘭生同士で練習したりして、午後に備えました。

午後は、判定をくだす先生方を前にして、一人一人が真剣にスピーチをしました。そしてスピーチが終わるごとに、一人一人修了証書をいただきました。二週間頑張った成果が認められた、とても嬉しい瞬間です。

この日の夜は、フォーマル・ディナー。香蘭生は一人一人精一杯のおめかしをして、ちょっと緊張をして大人気分でディナー会場に向かいました。お世話になった先生方とともに、コース料理をいただきながら、この二週間を振り返る会話を楽しみました。

そして8月16日(火曜日)は最終日。案内・説明を受けながら、ケンブリッジ大学の学部見学をさせていただきました。この日の夜の飛行機で帰国の途につきました。

今回参加した25名の生徒にとって、掛け替えのない貴重な二週間の経験でした。

5ヵ月間のカナダ中期留学参加の生徒、がんばっています2017年09月05日掲載

今年度から、カナダのプリンスエドワード島にあるGrace Christian School(GCS)とのご縁をいただき、約5ヵ月間の中期留学プログラムを開始しました。初年度の今年は、高等科1年生2名が参加しています。

GCSは、プリンスエドワード島内でも最上位の私立学校(幼稚園〜高校)であり、生徒総数が約130名という少人数の環境の中で、生徒一人一人の適性、成長を鑑みた教育とキリスト教教育を行っています。卒業生はプリンスエドワード島大学(奨学金付き)や、トロント大学、マギル大学などの世界でもトップランクの大学に進学しています。GCSは現在も留学生を受け入れており、ESL担当の留学生指導の経験が豊かな先生が、マンツーマンで皆さんの新生活、学校生活、日々の授業へのスムーズな移行をサポートしてくださいます。留学中はGCSの先生、もしくは信頼のおける信者の家庭にホームステイし、日々の教会活動にも参加します。

中期留学参加の2名の生徒は、まず短期カナダ研修の生徒と共に現地に行き、プリンスエドワード島大学の語学研修に約1週間参加した後、短期研修に参加している友人たちと別れ、7月31日より8月31日までのひと月間、GSCにおいて英語で授業を受けるための必要なスキルを身につけるための事前研修を行います。そして9月1日から12月22日まで、数学、文学、科学、社会科学、美術などの授業を英語で現地の生徒や留学生と共に学びます。

2人は早速、まだプリンスエドワード島大学での研修中の7月29日にGrace Christian Schoolで最初のテストを受けました。テスト形式が日本のもととは違うことに戸惑いつつも一生懸命頑張りました。

写真は短期研修参加の友人たちとの別れの時のものと、最近撮影のものです。

イギリスのケンブリッジ大学での語学研修報告 第6弾2017年09月04日掲載

今年のケンブリッジ大学での語学研修も順調に進んでいます。

8月12日(土曜日)は、午前中の英語の授業は、テーマはgreat leaders。そして午後の英語の授業は、5つの学生の専攻に関するtopicについて話していくディスカッションで、「言語」「宗教」「グローバリズム」「政治(核)」「歴史」の5つについて話していきました。

8月13日(日曜日)は終日、オックスフォード見学を堪能しました。

そして8月14日(月曜日)は、午前中の授業は、世界の気候の変動についてディベートをし、午後は外に出てダックスフォード帝国戦争博物館の見学をしました。

いよいよ、ケンブリッジ大学語学研修も残りあと僅かです。

北軽井沢山荘での4日間の自然教室が行われました2017年09月03日掲載

今年も夏休みの校外活動として8月14から17日の3泊4日、北軽井沢の香蘭女学校山荘「清香寮」に於いて自然教室が行われました。今年参加したのは中等科2年生から高等科2年生までの希望者21名でした。

初日は富岡製糸場に出かけて見学をしました。解説員の方の話しに耳を傾け、当時を再現したCGと共に、時代背景を学びながら、ちょうど同じくらいの年齢の女工さんたちの苦労はいかほどだったのか考えさせられました。また山荘に戻ってからは、バードコールを作りました。また、富岡製糸場で入手した蚕の繭から絹糸を取り出す作業も行いました。

2日目は、自分で作ったバードコールをもって志賀高原散策。やや小雨の中、オトシブミやアワフキムシ、ギンリョウソウにモウセンゴケと、様々な植物や昆虫と触れ合うことで、虫とだんだん仲良くなれ、また、ヒカリゴケの輝きに感嘆していました。自分の目で見て確かめる楽しさを数々経験し、とても楽しかったようです。そして、何人もの生徒が高原のルートに落ちているゴミを拾い、道をきれいにしてくれていました。山荘に戻ってからは、繭を桑の葉茶や笹の葉などで染色したり、茹でて、糸を紡いだりして、カイコを通して、深い学びができました。ホオズキ笛づくり、線香花火作りやこんにゃく作りなどの理科実験を行いました。おやつも遊び道具もアクセサリーも、昔ながらの方法で手作りできる時間があるのも自然教室ならではのことでしょう。

3日目は北軽井沢の石田観光農園にて野菜の収穫と農園での学びというプログラムでした。石田観光農園では、リンゴやトウモロコシを収穫しました。生で食べるトウモロコシやまだ世間に広まっていない果実、フェンネルの茎やルバーブをかじったり、大きなひょうたんをもらったりと、普段ではなかなかできない体験に、笑顔が絶えませんでした。野菜や果物ができるまでの過程を学ぶことで、農家の方々への感謝の気持ちや命を頂くありがたさを感じることができました。山荘に戻ってからは、農園で収穫した野菜を使ってバーベキューを堪能しました。また、有志を募り曇り空のもとでナイトハイクも行いました。この経験から自然の怖さと知る楽しさを知ってくれたらと思っています。

初めて会う仲間とも様々なプログラムを通してすぐに仲良くなれ、和気藹々と楽しく過ごせた3泊4日でした。山荘や自然の凄さ、楽しさ、自然の中で本物の心地よさを満喫し、人間が興味関心をもつことの必要性、自然とのつきあい方を学びました。生徒たちは、普段の生活ではなかなか出来ないことにチャレンジすることで大変たくましく成長して帰ってきました。虫が苦手な子もすっかり仲良くなりました。

香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(4)2017年09月02日掲載

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。

これを記念して、教職員、在校生。保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

 

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第1回です。

 

 

《香蘭女学校の歴史 1 香蘭女学校創立に至るまで》

 

幕末の切支丹禁制が続いていた時代、後の香蘭女学校が属している世界の聖公会に於いても、日本への宣教に向けての大きな動きが始まりました。

立教学院や立教女学院の創立者である米国聖公会のチャニング・ムーア・ウィリアムズ司祭(32歳)が来日したのは1859年6月のことです。聖公会の実質的な日本宣教の始まりと言ってもよいでしょう。1864年に逝去した米国聖公会の初代中国・日本伝道主教のW.J.ブーン師の後任にウィリアムズ司祭が選出され、1866年10月に第2代中国・日本伝道主教のウィリアムズ主教(39歳)が誕生しました。

一方、聖公会の本国である英国からは、1860年にC・M・S(教会伝道協会あるいは宣教協会)の香港ビクトリア教区の初代主教となったジョージ・スミス主教が来日したのが最初で、その後実質的に日本伝道の宣教師として来日したのは、1869年に長崎に上陸したC・M・SのG.エンソー司祭(27歳)からです。そして、英国のもう一つの伝道団体であるS・P・G(福音宣布協会あるいは福音伝播協会)からは、1873年にアレクサンダー・クロフト・ショー司祭(27歳)がW.B.ライト司祭とともに横浜に上陸したのがその最初です。香蘭女学校はS・P・Gが創立した学校ですから、日本に於ける香蘭女学校の直接の原点は、このショー師の来日であると言えます。

ショー司祭は横浜上陸後すぐに東京へ向かい、赤坂の霊南坂にあった陽泉寺に住みます。その後、面白いことに1875年頃福澤諭吉の邸宅の敷地内の建物に仮寓していました。これは、福澤諭吉がキリスト教を庇護していたことを示す事例であるだけでなく、後の香蘭女学校と慶応義塾との間の深い関係の嚆矢と言えるかもしれません。ショー司祭はライト司祭と一緒に聖教社神学校を1879年に設立しますが、ショー師は聖教社に通う学生たちを一般的知識を学ばせるために慶應義塾にも通わせています。ショー司祭は福澤邸仮寓のあと、後に聖公会の主教館が作られた芝・栄町に転居します。

後に創立される香蘭女学校は、英国人女性宣教師が多くその教育を担っていましたが、英国S・P・Gから最初に派遣された宣教師が、1875年11月に来日したアリス・エレノア・ホア(30歳)です。ミス ホアも翌年2月から福澤諭吉の邸宅2階に住み、少女たちの塾を開きます。さらにその翌年には、ショー司祭の新居の敷地内の家に転居します。このミス ホアは、後に気に懸けていた2人の老齢女性の面倒を個人的に自宅でみていたことがありました。そして同じくS・P・Gの女性宣教師として来日したエリザベス・ベシー・ソントンと協力し、1895年10月に芝に老人収容施設を開設します。これが後の聖ヒルダ養老院で、現在も香蘭生が毎年ボランティアに出かけているベタニヤ・ホームの前身です。またこの聖ヒルダ養老院のお年寄りのために何かできることはないだろうかと始められたのが、今年の11月23日に115年目を迎える香蘭女学校のチャリティー・バザーです。そして、ミス ホアと協力して養老院を作ったミス ソントンこそ、香蘭女学校の創立期を支えた大功労者です。

さて、1883年10月、英国カンタベリー大主教は英国聖公会の初代日本主教としてC・M・SのA.W.プール司祭(31歳)を選任し、プール主教は12月に来日し主教として就任しました。ちなみにこのプール主教は、現在大阪にある聖公会の学校・プール学院が校名に冠している宣教師です。ところがこのプール主教はすぐに病気を得て、やむなく1884年9月帰英、翌年逝去します。この後任に、1886年2月、インドに派遣されていたS・P・Gのビカステス司祭(35歳)が選出され、4月来日し主教として就任、まずは芝・栄町のショー司祭宅に落ち着きました。ビカステス主教とショー司祭の生涯続いた信頼関係がここから始まります。

ここに、後の香蘭女学校の創立者の日本での活動が開始されます。

 

(写真は左より、ショー司祭、ミス ホア、プール主教)

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