チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2019年02月01日掲載

あっという間に2019年もひと月が過ぎました。日々の慌ただしさを痛感しますが、更なる未来に向かって始まっていることも忘れずにいたいものです。同時に、未来は明日からではなく、いつでも今日から、今から始まります。
ただし、気を付けておきたいことは、速度を上げるばかりが人の生き方ではないはずです。しばしば耳にします「早い者勝ち」「いいとこ取り勝ち」という言葉は耳に心地よくありません。慌ただしい時代だけに、むしろ、ゆっくり、丁寧であることを大切にしたいものです。例え上手くいかないことがあっても、それは回り道でこそあれ、行き止まりではないはずです。
確かに、私たちは物事が上手くいかない時、辛い思いをし、落ち込みもします。かつて、「凧や飛行機が一番高く上がるのは追い風ではなく、風に向かっている時である」という言葉を聞いたことがありますが、深い示唆を与えてくれます。そして、そのようなことを繰り返しながら、私たちはいろいろな経験を積んでいきますが、経験とは自分に起こった出来事のみならずに、起こった事に対して自分がしたこと、とった態度のことでもあるように思えます。そして、経験とはいつでも自分の好みに合うこと、気に入ることばかりではありませんが、自分を創る力を秘めているはずです。
しかし、人は自分だけでは生きていかれません。むしろ、「自分だけ」「自分さえ」という思いは最大級の傲慢にもなり得ましょう。反対に謙虚とは、人との繋がりの中で生かされていることへの気付きと感謝の中から生み出されもしましょう。しかし、その一方で、気が重く、うつむき加減になり、足が重くなることもしばしばです。そのような時、私たちは自分しか見えなくなりがちにもなります。焦りもしますが、焦りは却ってミスを招き、いつまでもクヨクヨしていると、更なるクヨクヨを作ることにもなります。「クヨクヨと下ばかり向いていると、せっかくの青空を、虹を見逃すよ!」という言葉が思い浮かんできます。
そして、落ち込んでいる時、辛い時、自分の無力さを感じた時、他人と比べがちにもなりますが、それは仕方ないことでしょう。但し、あの人の方が上とか下とか考えて、幸せを比較で決めるのは如何なものでしょう。むしろ、幸せに包まれていることを見失ったり、見逃したりしているだけかも知れません。
自分にもっと、もっと優しくなれると、幸せが近づいてくるようです。「もう終わりかな」と思った時が、実は本当の始まりということもあるでしょう。昨日転んだら、今日立ち上がればいいでしょう。ひょっとしたら、今日という日はそのために与えられているのかも知れません。きっと自分が誰かに支えられ、包まれていることに気付かされもすることでしょう。
イエス様の弟子の筆頭格であり、初代教皇であるペテロは裏切りというトンでもない失敗をしましたが、イエス様は、その失敗を謙虚さに生まれ変えさせられました。もう一人の偉大な使徒パウロは自らの小ささに向き合い受け容れられた時、「人は弱い時にこそ強い」と確信しました。自分の過去を受け容れ、あの過去があるから今の自分があると感謝できた瞬間に、人は過去から真に自由になれることを弟子たちは伝えてくれているように思えます。そして、弟子たちは愛すること、即ち見つめ合うことに止まらず、同じ方向を見つめつつ共に歩むことに喜びと力を見出しました。紆余曲折の繰り返しともいえる弟子たちの生涯の中には、イエス様の愛がさらに豊かに注がれ続けました。自らの足で立ち、生きていかれるようにされました、もちろん人との繋がり、命の繋がりの中で!