チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年01月01日掲載

「共に苦しむ」

毎年1月になると、思い起こすことがあります。今から25年前の1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災のことです。近畿圏の広域に被害を及ぼし、特に震源に近い神戸市の被害は甚大で、近代都市での災害として世界中に衝撃を与える災害でした。犠牲者は6000人を超え、戦後の地震としては後に東日本大震災が発生するまでは最悪の災害と言われました。高速道路の倒壊した映像や火災の映像などが映し出され、これは大変なことになったと感じました。
1週間ほどたって、当時、東京のキリスト教女子校の校長であった私のところに数名の高校生がボランティア奉仕に現地に赴き支援したいと申し出てきました。キリスト教の学校の責任者としては日ごろ生徒たちに伝えてきた「他者のために奉仕する」というキリスト教教育の価値観を生徒たちが体現しようとしていることに心を動かされながらも、東京から女子校の生徒が現地に出かけてボランティア奉仕をするという申し出を実行することには戸惑いがありました。まだ災害の状況がはっきりとは見えていない中で、生徒たちの安全やどこで、どのような奉仕ができるかと言った具体的なことも定かではなかったのです。祈ること、献金することなどを提案すると生徒たちは「この学校のキリスト教精神に基づく奉仕ということを校長先生はどう考えるのですか」と一歩も引く気配はありませんでした。そこで教員会で議論し、芦屋にある聖公会の教会で宿舎を提供してくださること、倒壊家屋などの片づけなどは行わず、被災した地域の老人ホームで、清掃作業やご老人への介助のお手伝いを中心とした活動にすることなどを認めてもらい、保護者会を開いて丁寧に説明をしました。当然のことながら心配や懸念されることなど質問が多くなされましたが、最終的には保護者の方々も理解と協力をしてくださることになりました。
参加できるのは高校3年生ですでに推薦等で進路が確定しているものとすること、1グループ数名単位で1週間のボランティア活動を2月から3月末まで延べ数十名の体制で行うこととなり、先遣隊として私とチャプレンが出向き、受け入れ体制の確認、作業内容の確認等を行うこととなりました。参加する生徒たちは綿密な計画を立てましたが、実際には多くの予想外のこともありました。特にトイレのことなどは生徒たちには初めての経験で多くのことを戸惑いながら学んだようでした。使用後の紙など当然のことながら流すことなどできず、集めて焼却するのです。宿舎となった教会のほど近くに自衛隊が仮設テントの入浴施設を作って、生徒たちも使うことができるようにしてくれました。当時、いわゆる朝シャンという、毎朝髪を洗うことが生徒たちの間には流行っており、生徒は私に向かって「先生は髪を毎日洗いますか」などと訊ねられ、「まあ1週間に一度くらいかな」などと答えようものなら、不潔極まりないと言ったあきれた表情を見せていた彼女たちが、なんと自分たちは東京に戻ればいくらでもお風呂に入れるので、自分たちは結構です、その分地域の人々を一人でも多く入浴できるようにしてくださいと殊勝なことを言っていました。
現地に私たちも生きたいと申し出てきたまだ幼い表情の中学1年生には何ができるか考えてねと告げると、家でクッキーを焼いて、クッキーバザーを行ってお姉さんたちの活動資金を作りますということになりました。参加していた高校3年生からは毎日現地での活動の様子がファックスなどで送られてきて、学校全体が被災地の人々の苦しみを感じながらボランティア活動に参加していると言った様子でした。
当時は現在と違って未だボランティアという言葉も学校の外では一般的ではなかったように思います。そんな中でも苦しんでいる人々と共に苦しむという、共感する生き方を生徒たちが身に着けていることを知って教育に関わるものとして教育には何が大切なのかということを身に染みて体験した25年前の1月の出来事でした。

香蘭女学校チャプレン  杉山 修一