チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

成成鍾チャプレン イースター・メッセージ

父と子と聖霊のみ名によって アーメン 皆さん、イースターおめでとうございます。
イースターはイエス様の復活のことを意味する言葉です。教会は年に1回、冬が終わり春が訪れますと、イエス様がよみがえられたことを記念するためにイースターを祈ります。
しかしながら、今年は新型コロナウィルスの大流行によって、全世界がパニック状態になっているただ中、イースターを迎えました。ニュースに接するたびに、現実的にこういうことが起こり得るのかと疑うほど、多くの方々が亡くなり、また今も苦しんでいます。皆さんも家に留まりながら、大変退屈な日々を過ごしていることと思います。教会もイースター礼拝は勿論、一か月以上も礼拝ができなくなっている寂しい日々が続いています。
こういう時に「イースターおめでとう」ということが言えるのか、今の状況に相応しい言葉ではないのでは? と疑問を持つこともありますでしょう。確かに今起こっている現象だけを見ますと、そうなのかもしれません。
ところが私は、今の厳しい状況の中からでも、復活の兆しを見てきました。そして、たくさんの人々があちこちから、復活が芽生えているという知らせを送ってくれました。宗教色はありませんが、歌手の星野源さんがユーチューブにアップした歌「うちで踊ろう」もそうですし、アイルランドの司祭リチャード・ヘンドリックが書いた「ロックダウン(都市封鎖)」という詩も一つの例として挙げることができます。詩は、今私たちはコロナウイルスのため苦しんでいるわけですが、よく見ますと私たちの中に既に復活が芽生えている、ということについて伝えています。長いので少し直してご紹介したいと思います。
「そう。そこには、恐れがあり、隔離があり、買い占めが起こり、病気があり、そして死もあります。しかし、中国の武漢では、鳥の囀りが再び聞こえてくるそうです。空はもはや厚い煙に覆われることはなく、青く澄みきっているそうです。イタリアでは、独りぼっちの人々が聞こえるように、窓を開けて歌っているそうです。アイルランドでは、外出できない人々のためホテルが無料で食事を届けるそうです。教会は寺院は、ホームレス、病気の人、疲れた人々を迎え入れ、匿う準備をしています。世界中の人々がスローダウンし、自分のことを省みて、周りの人を新しい視点で見て、新しい現実に目覚めています。だから私たちは、以下のようなことを覚えて祈ります。恐れはあるが、憎む必要はないと。隔離はあるが、孤独になることはないと。買い占めは起こるが、卑劣になることはないと。病気はあるが、魂までも病気になることはないと。死もあるが、愛はいつでも再び生まれることができるということ。今こそ、あなたが生きていくために何を選択するか、目覚める時であります。あなた自身の不安から出されている騒音から離れて、深呼吸し、よく耳を澄ましてください。鳥たちが再び囀り、空は澄む春が来ています。私たちはいつも愛に包まれています。魂の窓を開けてください。広場で触れ合うことはできなくても、一緒に歌いましょう。」 古くから復活は、残りの雪の下から草の芽や花の蕾が顔を出すように、静かでありながらも力強いものとして繰り返されてきました。ところがこの詩は、今年の復活というものは、自然の営みだけではなくて、苦しい状況の中にいる人々、まさに私たちの中から芽生えている、ということを歌っています。まだまだ厳しい状況は変わっていませんが、人々はコロナによって強いられている状況に負けないで、希望と命を作り出し、また周りの人々へと運んでいるわけです。それこそ、イエス様の復活、イースターがもたらしている本当の意味だと思います。
それでは、いかがでしょうか。皆さんも自分が置かれている状況の中で、希望や可能性に包まれている復活の蕾を見つけ出してみたらどうでしょうか。例えば、普段は何気なく見ていた空や草、毎日いただいているご飯やみそ汁、家族との会話、いつも自分の机にある物などなどから聞こえてくるみ声に耳を澄まし、希望、命、可能性とも言える復活の意味を探し出してみてください。きっと見つかるはずです。 そういう皆さんに18世紀英国の詩人ウィリアム・ブレイクの詩をさし上げて、お話を終わらせていただきます。
「砂粒の中で宇宙を見て、野の花の中に天国を見る。手のひらで無限を握って、短い時間で永遠を測る。それが、人間という有限者が持っている祝福である。」 父と子と聖霊のみ名によって アーメン

(香蘭女学校の成成鍾チャプレンからのイースター・メッセージは、香蘭女学校でのイースター礼拝が予定されていた4月15日に、全校生に向けて動画で配信されました)