チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年07月01日掲載

「待ち遠しいのは夏休み?」


 今から50年以上前、私が中学3年生の頃コニー・フランシスというアメリカの女性歌手が歌った「VACATION」という曲が流行しました。学校の長期休暇を待ち遠しく思う生徒、学生の気持ちを歌った明るい曲です。英語のできない小さな子供まで「ヴィー・エー・シー・エー・ティ・アイ・オ-・エン」と「VACATION」のサビの部分の綴りを繰り返していました。英単語の試験にこれが出れば殆ど全員正解と思えるほどこの歌は流行したのです。私はこの曲を聴いた時、「アメリカという国はなんて自由な国なんだろう」と憧れの気持ちを持ちました。しかし、高校生になって、少し社会の現実を知るようになるとベトナム戦争へとのめりこむアメリカの覇権主義に嫌悪感を持つ反米感情が自分の中に起きて、憧れとは別な複雑な思いを抱いていました。今も7月になって夏休みが近づく頃になると、私はこの歌と共に中高生時代のとても不安定だった自分を思い起こします。

 今年は7月になっても未だ新型コロナウィルスの影響で学校は通常の学校生活を始めることができない状態です。分散登校が始まり、対面授業も始まりましたが、部活やキャンプ、修学旅行などの楽しい行事、活動も行われない状態が続いています。そんな中で今年も夏休みが近づいてきます。例年の夏休みとは期間も中身も大きく異なるものになるのでしょうか。果たしてどんな夏休みになるのでしょう。「VACATION」という歌は「待ち遠しいのは夏休み」と夏休みなどの長期休暇をワクワクして心待ちするという思いを歌っているのですが、今年は夏休みを待ち遠しく思うより、当たり前の学校生活が行われることを心待ちしている生徒さんが多いのではないかと想像します。大好きな友だちともゆっくりおしゃべりできない。大好きな部活に励むこともできない。楽しい学校行事も十分には行うことができない。そんな中で迎える夏休み、どこかに出かけることも自由にはできず、勉強の遅れを取り戻すこと、感染予防のための自粛するようなことが求められる実に不自由な現実が私たちの前に立ちはだかっています。

 旧約聖書の創世記は人間が神にかたどって創造されたということを記しています。神にかたどってというのは神に似せてということで、それは人間には自由な意思が与えられているということだと言えます。もちろん生まれること死ぬことなど自由にならないこともあります。しかし人間だけが他の動物のように本能の支配によらず、自分の生き方を自分の意思で決めていくことができるのです。どれほど知能が優れた動物であっても自由に自分の生き方を選ぶなどということはできません。人間が自由に生きることができることはまさに自らの意志で世界を創造された神の姿を反映しているのです。この自由意思は、例え、外側は不自由であっても、魂の自由、本当の自由を手に入れることができることをも示しています。

 昔、長崎の大村でキリシタン一大検挙事件がありました。この時多くのキリシタンが殺されました。処刑は免れたのですが、死ぬまで牢獄にとらわれることになった11歳の少女がいました。75歳で死ぬまでなんと64年間も牢の中で過ごしたことが記録に残っています。恐ろしいほどの長い不自由な時を狭い牢の中で過ごしながら、彼女は何を考え、何を支えに生きたのでしょう。外に出ることもできず、絶望と苦しみ中で涙したことも数知れずあったことでしょう。神を否定すれば赦されたかもしれない。しかしこの女性は幼いころに出会った神を棄てませんでした。神に似せて創造された人間として、自由に生きるということを、内面の自由、魂の自由を持ち続けることで実現したのです。不自由極まりない今の状況の中にいる香蘭生のみなさんもこういう魂の自由、内面の自由を大切にする価値観を持って今年の夏休みを過ごしてください。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一