チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年08月01日掲載

自分を彫刻する   

   

 ミケランジェロ(Michelangelo、1475‐1564)をご存じでしょう。バチカン、システィーナ礼拝堂に描かれた「天地創造」の天井画、また彫刻「ピエタ」や「ダビデ像」など、数多く名作を残したルネサンス美術の大家です。彫刻家として彼は“どんな石の塊も内部にイメージを秘めている。それを発見し形を与えるのが彫刻家の仕事だ”という言葉を残しましたが、それに因んだ逸話があるので紹介したいと思います。ある日、ミケランジェロは散歩の途中、ある邸宅の片隅に捨てられている大理石を発見しました。その石をしばらく眺めた後、家主を呼んでその石を自分に譲ってくれないか、と尋ねました。家主は“傷だらけの石を持って何をしたいのか”と聞きました。すると彼は“あの石の中には天使が閉じ込められているので、彫刻を施して天使を自由にしたいのです”と言い、譲ってもらった石で美しい天使像を製作しました。

 私たちにも同じことが言えます。つまり、大理石の中の天使のように、人間は誰もが自分だけのイメージを持っているわけなので、それに彫刻を施して形を整えることが求められるわけです。それぞれが彫刻家になって、自分という大理石の中に眠っているイメージを起こして自由を与えなくてはなりません。それが我々人間にに与えられている責務だとも言えますが、そのためには以下のような過程が求められます。

 先ず一つ目は、自分の内面に秘めているイメージについて探し求めることです。人によって違いますが、例えば活動家、芸術家、神秘家、自由人、戦士、助力者、賢者など、一人ひとりに相応しいものが与えられています。どのようなタイプだとしても、神様のイメージが私たちに分け与えられているものなので、それぞれ尊いです。

 二つ目は、自分のイメージを覆っている部分を砕き落とすことです。彫刻家が大理石の荒い部分を砕きながら形を整えていくように、意志という角取りノミと神様の助けという金槌で、自分のイメージが自由になることを妨害している部分を砕き落とすことです。怠慢、高慢、自責の念、利己心、臆病、抑圧されている記憶など、人によって違うと思いますが、諦めずに砕き続けなくてはなりません。

 最後の三つ目、神様から与えられた自分だけのイメージが概ね見えてきたら、これからは繊細な彫刻を施します。これは邪魔になる部分を削ぎ落とす作業の延長ではありますが、自分のイメージにより集中する過程だと言えます。つまり、マイナス部分よりプラス部分を活かすことに力を入れる、ということなのです。言わば“自分を磨く”ことです。

 自分のイメージに形を与え自由にさせるためのこのような過程は、人によって速度が違います。速い遅いというよりは、どれほど丁寧で確実に行えるのかが大事です。まだ自分のイメージが何かすら分からないと心配する人もいると思いますが、少しも不安になることはありません。人生そのものが、自分の内面に秘めているイメージを発見するための旅路だと言っても過言ではないからです。学びも出会いも、失敗や苦難も、病気や死までも全てそのための過程だと言えます。眠っているイメージを起こして自由を与えための彫刻家としての働きは長丁場なので、焦ることも諦めることもなく一歩ずつやっていくことが求められます。

 聖書の中には、持ち物をすっかり売り払っても買い取るべき宝や真珠のように何より価値のあるものがある(マタイ福音書13:44-50)というキリストのお話があります。神様が自分に与えてくださったイメージを探し出し、それの形を整えることも、私たちが人生をかけても良いものではないかと思います。コロナ禍の中、いろいろ大変な日々を過ごしていると思いますが、むしろ今の危機を自分の内面に秘めているイメージを発見し、少しずつ彫刻を施すチャンスとして活かしてはいかがでしょうか。 自分を整えていく彫刻家である皆さん一人ひとりの上に、神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。


香蘭女学校チャプレン  成 成鍾