チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2021年09月01日掲載

キアバの微笑み


「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5:9)


 ミャンマーで6か月以上一般の市民が軍人たちによっての犠牲になっていて心が痛んでいたのに、アフガニスタンでは、イスラム原理主義者たちによって政府が崩壊され、たくさんの女性が危険にさらされている、と聞いて、世界平和の実現は虚しい夢なのかという思いがしました。もちろんあくまで一瞬の思いであって、平和の問題においてわたしは根本的に楽観主義者です。「カール・ヤスパース(Karl Jaspers)」という哲学者は『絶望的に「この世界にいったい何が残っているのか」と聞く者がいれば、誰にでも「あなたはできるから存在するのだ」という答えが与えられる』(人間論から)と言いました。「できるから存在する」、この言葉を心に刻んでほしいです。この複雑で厳しい世の中で平和の実現は不可能に見えるかもしれませんが、わたしたちはできるから存在しているのです。では、どこから始めれば良いのか。

 まずは自分自身から平和の人にならなければなりません。自分の中に平和がないと世の中に平和をもたらすことはできません。古代中国の孔子は「修身斉家治国平天下」(「礼記、大学」から)と言いました。世の中を平和にする道は自分自身を正しくすることから始まるものです。これはキリスト教的に言うと「キリストの中に留まる」ことです。もう少し理解しやすく言うと、わたしたちの心の中に、そしてわたしたちの関係の中に「キリストを迎え入れる」ことから平和が始まるということです。


 わたしたちが他人と平和に共存できないのは、もしかしたら恐れのためかもしれません。見慣れぬもの、自分と違うものはまず疑ってしまう習慣のため、わたしたちの心に平和がないということです。わたしたちの心の中には、抑えにくい悪い感情もありますが、平和をもたらす良い感情もあります。問題は、わたしたちがどちらの感情に反応するかということです。

 ここで好きな童話、カール・ノラック(Carl Norac)の「キアバの笑顔(Le sourire de Kiawak)」を引用させていただきます。

エスキモー少年のキアバは釣りに行きました。

「今日はキミの指より大きい魚をとって来なさい」とお父さんに言われました。

キアバは氷に穴を掘って釣り糸を垂れました。

残念ながら、何もとられませんでした。

突然、糸がぴんと張り切り、キアバはぐっと引っ張りました。

指十本よりも大きい魚が出てきました。

キアバはいい気になったのですが、すぐ悩み始めました。

とられた魚がにっこりと笑顔をしていたからです。

悩んだあげく、魚を穴の中に入れて返し、叫びました。

「微笑んでいる魚は絶対食べられない!」

でも、悔みました。「お父さんにはどう言えばいいだろう。」

「あら、とったのが小さくて口の中に隠したの?」

お父さんはからかって言いました。

でも、キアバは微笑む魚の話をする勇気がありませんでした。

しかし、ぷんとした顔つきをしているわけにはいけませんでした。

帰り道に、大きいクマさんが出て道を遮っていたのです。

お父さんは怯えさせて追い返そうとしました。

しかし、お父さんが大声を出せば出すほど、

クマさんもますます猛々しく吠えました。

キアバは妙案を思いつきました。

キアバはクマさんに近づき、微笑みました。

クマさんは頭を下げ、目を大きくし、不思議そうに首をかしげました。

こんなことには逢ったことがないからです。

あえて人間が、興奮したクマの前で微笑むとは・・・

クマは何をどうすればいいか分かりませんでした。

しばらくして頭をかきながら背を向け、

クンクンと鼻を鳴らしながらどこかに行ってしまいました。

お父さんは村に着いたとたん人たちに叫びました。

「わたしの息子は優れた釣り手ではないけど、

立派な魔法使いになるでしょう。

キアバは魔法を使ってクマを追い返したのです!」

翌日、遠くから来た狩人たちが恐ろしいことを伝えました。

とてつもない暴風が来ているとのことでした。

村の人たちは雪と氷を集め、イグルーを厚く丈夫にするため急ぎました。

しかし、キアバは手伝いませんでした。別の考えがあったのです。

キアバは村を離れて暴風に会いに行きました。

暴風に会うと、立ちはだかって顔に笑みを浮かべました。

「キミのような子供の笑みが俺を止めると思うのか?」

暴風は怒鳴りました。

「もちろん無理でしょう。でも、頑張ってみて良いじゃないですか。」

キアバの答えがあまりにも大胆だったので、

暴風はあきれて笑ってしまいました。長く、ずっと笑っていました。

キアバは村の方に駆けつけ、こう思いました。

「暴風が笑っている間には、風を吹かせるのを忘れるだろう。」

村は安全でした。

キアバは風の音を聞きながら眠りにつきました。

(Le sourire de Kiawak、Carl Norac作、金大原訳)


 童話ではありますが、エスキモー少年キアバの物語は、平和を願うわたしたちがどう生きるべきかを教えてくれています。猛々しいクマも暴風もキアバの笑顔を無視することはできませんでした。クマと暴風を阻んだのは、何の恐れも敵意もなく暴力的な現実の前に立ち向かったキアバの無力とあどけなさです。あどけない笑顔は、もしかしたら世の中のどんな力よりも強いかもしれません。イエス・キリストは何も持たないですべての権力に立ち向かいました。それからすべての人を憐れみ、受け入れ、抱き入れることで平和の王になりました。

 一刻も早く、人々の心の中にある鋭いものは消え失せてやわらかく穏やかになり、すべての対立が収まり、感染症が過ぎ去り、世界に平和が訪れるようにと願います。


香蘭女学校チャプレン  金 大原