チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2022年02月01日掲載

余白の力


 2020年1月に新型コロナウィルスの感染が始まって2年の時が経過しました。ウィルスは何度も変異を遂げ、今はオミクロンという変異株による急激な感染が広がっています。香蘭女学校も現在一時的に登校を控え、オンラインでの授業を続けています。このような中、外出を控えていることもあって、書棚にある昔読んだ本や、最近買った本を読む時間が多くなりました。私が定住している渋谷聖ミカエル教会にも書棚が置かれています。先日、たまたま目に止まった本を手にして開いていたら、その本の間からはがき2枚とレポート用紙2枚に書かれた原稿らしきものが出てきました。その葉書の宛名から、この本は教会の信徒であった後藤八重子さんという方が寄贈された本と推測できました。後藤八重子さんは香蘭女学校を卒業して大学で英文学を学び、1940年(昭和15年)に母校である香蘭女学校英語科教員として1977年(昭和52年)まで37年間勤務されました。本に挟まれていた原稿はおそらくどこかの短期大学での礼拝で話されたもののようでした。その原稿の元になった本は、日本人とキリスト教について考え続けてきた、井上洋治というカトリックの神父さんが書いた「わたしの中のキリスト」という本です。この本に触発されて後藤さんはお話の原稿を書いたと思われます。原稿が挟まれていた4章の「余白の世界」という箇所で井上神父は戦後、アメリカ軍の将校が、知人の家の床の間にかけてあった掛け軸を欲しがリ、譲リ受けたあと、掛け軸の絵の何も書かれていない空白の部分、つまり「余白」をすべて切り捨て、描かれている絵の部分だけを切り取って額縁に入れたというエピソードを紹介している。日本人にとっては「余白」がとても大切で、「余白」があるからこそ絵が生きるということを京都の龍安寺の石庭を見て理解したことを語り、庭に置かれている石を生かしているのは「余白」の白い砂なのではないかと思い至ったことを述べています。更に13世紀後半に生きた日本の水墨画に影響を与えた中国の僧、牧谿(もっけい)という人の有名な「柿」という水墨画に触れ、この水墨画には数個の柿が描かれているが、画面の大部分は「余白」であり、この「余白」が柿の絵を生かしているということにも言及しています。この本を読んで後藤八重子さんは心を動かされ、この「余白」こそ目に見えない神さまの力であり、愛であり、それによって私たちは生かされていると理解されたようでした。挟まれていた原稿の終わりには「わたしたちが生きているということは、その人がそれを意識しているとか、受け入れる、受け入れないということとは関わりなく丁度、柿を生かしているのは余白の力であるように神の支配と愛の力は目に見えぬかたちでわたしたちに働いているということを伝えたかったのです」と話を結んでおられます。後藤八重子さんは私たちの目に見えるすべてのものは、目に見えない「無」としか思えない世界によってその存在の場を与えられているということ、言い換えると私たち一人ひとりの存在は「余白」とも言うべき目には見えないものに心を開き、自分を生かしている「余白の力」、「神の愛」を知ることが大切なのだと言いたかったのでしょう。

 後藤八重子さんは晩年、ご自身の財産のすべてを教会に遺贈され、この「余白」によって生かされ、神の愛を知るということのためにそれを用いてほしいと願ったようです。聖ミカエル教会は後藤さんの遺志を受け継ぎ、彼女の洗礼名でもあるヒルダの名前を冠したヒルダ・ミッシェル宣教基金を設立し神への奉仕を志す人々に必要な書籍等を毎年贈呈し続けています。書籍の贈呈だけでなく、書籍の出版を行うとともに神の愛に奉仕する人々を育てるための学習、講演会などを実践しています。後藤八重子さんの信仰上の親となったのは日本を愛してやまなかった香蘭女学校の宣教師ミスA・Kウーレイ先生でした。香蘭女学校で出会った「神の愛」を生涯を通じて証しされ、天に召されたの後もヒルダ・ミッシェル宣教基金を通して「余白」の力、「神の愛」を語り継いでおられるのです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一