チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2022年07月01日掲載

灯をともして


 何週間か前に、ホタル放流式があると聞いて洗足池を訪ねたことがある。日が沈む前だったので、なぜこの早い時間に放流するのか、そしてこの季節にホタルの光が見えるのか、などの疑問を持って現場に向かった。詳しい場所を知らなかったが、恐らく中の方にある水中公園辺りだろうと思いながら、ゆっくり歩いて行った。開催時間には間に合わなかったが、不思議なことに何の痕跡もなかった。そこで調べてみたら、やはりこの時期には幼虫を放流し、一か月くらい経って成虫になるということだった。まもなく夜空に輝くホタルに会えるという思いで毎日が楽しみである。

 ホタルの乱舞をご覧になったことがあるか。悩みが多かった若い時のある夏、人跡まれな田舎の川辺で、クリスマス・イルミネーションのようにきらめく数多いホタルに会ったことがある。驚異的だった。言葉では表現できない深い感動が心に染み込んだ。あの小さな光たちが私の疲れた魂に希望は消えないことを教えてくれるような経験であった。

 「青春とは年齢と関係がない。青春とは魂の若さであり、光を放つ。光を失うと、もう青春とは言えない」と言いながら、学生たちをせき立てる教授がいた。すでに老死されたが、今もなお永遠の師匠として、彼は私の心の中で光を放っている。

 イエスは私たちに「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5:14)と言われた。直説法の中に命令法が入っている。「~である」の中に「~になれ」という意味が含まれているのだ。続いてイエスは「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになる」(16)と言われた。

 誰にでも闇の時期があり、それでたまには大変で寂しいこともある。でも、近くのどこかで光を放って世を照らす人がいることを、そして自分もやはり光を放てることを忘れてはならないものだ。星一つだけなら寂しいかもしれないが、星々が集まって星座になると燦然と輝くのではないか。小さくかすかでも闇の中で光を放つホタルのような人たちが集まると闇は消え失せる。偉いことをしなくてはという強迫観念は要らない。今いるところの周りを照らすため小さい灯をともそうではないか。


香蘭女学校チャプレン  金 大原