チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2022年10月01日掲載

「ご飯はみんなで食べるもの」


 つい先日私が関わりをもっている教会関係の中高生キャンプのスタッフからキャンプに関わっているスタッフたちにラインメールでボランティア急募の呼びかけが来ました。それは東京子ども子育て応援団(TCFS)というキリスト教の教会を会場として子ども食堂の活動から始まり、現在は経済的に苦しい子育て家庭に食品ロスで廃棄される食品や善意の寄贈品を、必要とする家庭に届ける活動をボランティアの協力で実践しているグループからの要請を受けての呼びかけでした。この活動に協力して食材を提供してくれている静岡の農家が、このたびの大雨で浸水被害に遭い、急遽食糧倉庫の仕分けと、泥掻き作業のボランティアが必要になったということでした。

 聖書のルカによる福音書16章に「金持ちとラザロ」という話があります。ある金持ちが紫の衣や柔らかい麻布を身にまとい贅沢に遊んで暮らしている。一方、その家の門前にできものに覆われた極貧の物乞いであるラザロという人が横たわって、金持ちの食卓から落ちるもの、要するに食べ残しで空腹を満たしたいと願っていたという話です。いつの時代、どこの国にも贅沢に暮らす人と食事もままならず飢えに苦しむ人はいるということを思い知らされます。

 最近テレビを見ると番組の内容はさまざまですが、とにかく食べることを取り上げている物が多いように感じます。特に気になるのは出演するタレント、芸人などがとにかく、さまざまな食物を食べて、「うめー!」とか「ジューシー!」とか月並みな表現で食べているところを放映しているのです。時間によってはどこの放送局も同じような食リポート番組を組んでいるようです。こういった番組を見るたびに聖書の「金持ちとラザロ」の話を思い起こすとともに、以前大阪の学校で働いていたときに目にした衝撃的な新聞記事を思い起こします。大阪市北区のマンションの一室で、母子と見られる2人の遺体が見つかったのです。新聞などの報道によると、室内には食べ物はなく、食塩があったのみ。預金口座の残金は十数円で、電気やガスも止められていたというのです。「最後におなかいっぱい食べさせられなくて、ごめんね」。母親が残したとみられるメモにはそう書かれていました。

 親子は28歳のお母さんと3歳になる男の子でした。発見されたとき、2人は布団の上に仰向けに倒れており、目立った外傷はなく、幼児には頭から毛布とバスタオルがかけられていたとのことでした。メモはガス料金の請求書の封筒に書き残されていました。男の子が先に亡くなった後、お母さんも間もなく死亡したのです。なぜ、この親子は周囲にSOSを出すことができなかったのか。難しい事情もあったのでしょう。「最後におなかいっぱい食べさせられなくて、ごめんね」という切ないほどの母の思いと無念を感じます。

 食べるという生きることの基本を考えると、問題は異なりますが、どうしても世界の食の不均衡にも目を向けざるを得なくなります。世界では、全人口76億人のうち9人に1人、およそ約8億2100万人が飢えに苦しむ一方、生産された食品の3分の1の13億トンあまりが捨てられているとのことです。全世界で生産されている食料は毎年およそ40億トンで、これは世界の全人口の必要量に十分であるはずなのですが先進国では余り物が捨てられ、開発途上国では貧困や気候変動、紛争などによって、食料が足りなくなる「食の不均衡」が起きている現実があります。最低限人間が生きるために必要な食料が行き渡ることを願わざるをえません。国連の機関である国連WFP(WORLD FOOD PROGRAM)は今年の10月1~31日の1カ月間、世界食料デーキャンペーン「Zero Hunger Challenge 食品ロス×飢餓ゼロ」を実施するとのことです。

 一方で食べ飽きるほどに食料が溢れ、一方で食べることができないという現実は平和な世界ではありません。「ご飯はみんなでたべるもの」、分かち合うことができる社会を実現するために、まずは身近なところから変えていくことが大切です。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一