チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年05月01日掲載

強く、雄々しくあれ

 「ヨシュア記1:1~9」を読んで


 イスラエル民族の出エジプトを導いたモーセが世を去ると、ヨシュアがその後継者として選ばれました。ヨシュアは若い時からモーセの従者として活躍してきましたが、自分に与えられた責任の重さに精神的な圧迫感を感じ、恐れていました。神さまは縮みこんでいるヨシュアをいろいろと励ましてくださいました。時には、温かい一言が崩れ落ちる心を奮い起こすこともあります。崖っぷちに立っているような時に、静かに傍らにいてくれる人が一人でもいれば力になるものです。ましてそれが神様だったらどうでしょう。

 「あなたがたの足の裏が踏む所をことごとくあなたがたに与える。」(3節)身を寄せる所がない「ヘブライ人」(イスラエル人の別名だが、もとは種族より社会層の意味が強い)にとっては慰めになる言葉だったでしょう。ところが、イスラエルの人々によってこの言葉が誤用とされてきました。イスラエルはパレスチナに国を立てて、その地は神さまから自分たちに与えられたのだと言ったのです。国を失い、長年にわたってさすらった彼らが、自分たちの国を造ろうとしたのをたしなめることはないでしょう。しかし、その地で平和に過ごしていた人たちを追い出し、分離壁という世界最大の刑務所の中に閉じ込めて、それが神のみ旨だと言うのは確かに問題です。

 ヨシュアに与えられた言葉を、出エジプトの脈略から切り離して理解してはなりません。神さまは、古代地中海世界の最下層の人たちを、すべての人の基本的な人権が尊重される自由と平等の世界に招かれました。その地に住んでいた先住民たちが彼らを喜んで迎え入れてくれれば良かったでしょうが、現実はそうなりませんでした。強盛だった先住民たちは彼らを一緒に交わって生きる隣人とは思わず、自分たちのシステムを揺るがす危険要素に見なしたのです。

 神さまは、ヘブライ人たちにすべての人が尊重される世界の夢を決してあきらめてはならないと言い、ヨシュアに「強く、雄々しくあれ」(6,7,9節)と3回も強調して言われました。このように、決断が必要な時、或は思い通りにならず気を落としている時に必要なのは、気を引き立ててくれる人でしょう。ヨシュアに与えられた励ましの言葉が今の私たちへの呼びかけのように聞こえます。お互いの違いを認め合い、友情を分かち合い、生気を吹き込みあいなさいという神の声が聞こえませんか。

 何よりも、「私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはない。あなたを見捨てることもない」(5節)と言われた神さまが私たちとも共にいてくださることを知ってほしいと思います。「うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ」(9節)という神さまの約束を信じて、どんな困難にも打ち勝ち、夢に向かって強く雄々しく歩もうではありませんか。


香蘭女学校チャプレン  金 大原