チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年12月01日掲載

「暗闇に耐え、隣人を愛する降臨節」

 クリスマスがやってくる12月になりました。救い主がお生まれになるという喜びの時を 待ち望む4週間のことをキリスト教では降臨節(アドヴェント)と言います。待降節と言 っている教会もあります。実は降臨節はイエスさまのお誕生を待ち望むだけではなく、天 に昇られたイエスさまがいつかはわからないのですが、世界の終わりの時にすべての人を 裁くためにやってくるという再臨の時、救いが完成する時を待ち望むという意味もありま す。今年はこの降臨節が12月3日から始まります。この日に向けて12月1日には4週間のア ドヴェントを象徴するアドヴェント・キャンドルに点灯する降臨節を迎える礼拝が行われ ます。

 ところで教会の暦では1年の始まりを1月1日の新年ではなく、降臨節から新しい1年 が始まると考えています。日常生活では1月1日から始まる暦を用いていますが、キリス ト教の暦では降臨節から新年が始まるのです。このことは旧約聖書の天地創造の物語に一 つの根拠があるようです。創世記1章に神さまが天地を創造された後、繰り返し「夕があ り、朝があった」という記述あります。この記述が1日は夕から始まるという考え方にな ったというものです。この考え方はユダヤ人たちの習慣となっていき、例えばユダヤ教の 安息日は、金曜日の日没から始まり、土曜日の日没で終わるというようになり、イエスさ まの時代のユダヤ人たちもそのような習慣の中で生活していました。またキリスト教の原 流でもあるイスラエルの歴史は、困難の中で絶えず救いを待ち望み、救い主を求め続ける 歴史でした。エジプトに奴隷として囚われていたイスラエルの人々がモーセという指導者 によってエジプトから救い出されたという原体験は、その後もどのような苦難からも神は 必ず救い出してくださるという信仰になっていきました。出エジプトの後もイスラエルの 民はアッシリア、バビロニアを始め大国の支配に苦しめられ続けるのです。こうした歴史 的な苦難の経験から、イスラエルの民は救い主を待望する信仰と生き方を身につけてきた と言われます。それ故、救いの時が到来する前には苦しい、忍耐の時が必要なのだと理解 し、そのことが創世記の天地創造の夕から始まる1日と重なり、1日の始まりは明るい朝 ではなく暗い闇の夜、つまり苦難と忍耐の時から始まると考えた、というのです。歴史的 苦難の経験からの宗教的な伝統です。そのことをキリスト教も受け継いで、明るい光の時 であるクリスマスを迎えるために忍耐して待ち望む降臨節が置かれるようになったのです 。クリスマス・イヴはクリスマスの前の夕ですが、この時からすでにクリスマスは始まっ ていると考えるのもこのような背景からと思われます。このような夕から1日が始まると いう考え方は私たちに暗い夜、困難や苦難に耐え「夜」の闇の中に神の助けがやってくる ことを信じて、神に信頼を寄せて希望の朝、喜びの時を待ち望むことの大切さを教えてい ます。

 それとともに終わりの時を迎える決意として私たちは、どのように準備して待つことが 望ましいのかを考えることをうながされています。イエスさまはマタイによる福音書25章 の中で、裁きの時の様子を羊飼いが羊と山羊を分けるたとえとして語っておられます。そ れは出会う小さくされた人々に愛を分け与えることの大切さを伝えるたとえです。そこに はこう記されています。「よく言っておく、この最も小さな者の一人にしたのは、すなわ ち、わたしにしたのである」。イエスさまは日常のささやかな愛の行為を通して私たちが イエスさまと出会っているという不思議を語っておられるのです。飢えたり渇いたり、病 んだり悲しんでいる人の中にイエスさまはおられるということです。降臨節を迎える私た ちはそれぞれ生き方を振り返り、私たちが小さくされている人々への愛を注いでいるかど うかを見つめることが大切なのです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一