チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2024年2月5日掲載

「悪魔の誘惑」

マタイによる福音書4章1節から11節

みなさんはカーニバルというお祭りを知っておられると思ます。日本語では謝肉祭と言っていろいろな国で行われています。ブラジルのリオのカーニバルというのが特に有名です。カーニバルとは大斎節(四旬節)という復活祭までの日曜日を除く40日間を禁欲、節制して、つまり肉を食べずに祈りと訓練の時を過ごす期間に入る直前、思いきりお肉を食べて栄養を取っておこうという習慣がお祭りとして定着したもののようです。

マタイによる福音書の4章にイエスさまが荒野で40日間断食をされてその後、悪魔に誘惑されたことが記されていますが、これが40日間の大斎節の根拠になっていると考えられます。この期間、教会はイエスさまの受難、苦しみのことを覚えて、祈りと訓練そして忍耐を学ぶとともに、現在様々な理由や状況の中で苦難や困難の中にいる人々を覚えて祈りと支援を行う時でもあります。今年は2月14日(水)からこの大斎節が始まります。

みなさんは悪魔の存在を信じますか。そんなものいないという人もいるでしょう。昔パウロ・パゾリーニという人の作った映画に「奇跡の丘」というのがありました。イエスさまの生涯を新しい視点で描いた映画でした、その中に、悪魔がイエスさまを誘惑する場面が出てくるのですが、悪魔は怖い顔をしていかにも悪魔らしい恐ろしい存在としては描かれていませんでした。むしろ親しみやすい、近所の親切な八百屋のおじさんといった雰囲気の人として登場していました。きっと悪魔というのはそんな風に普通に私たちの生活の中にいるのかもしれません。聖書にはイエスさまが公の生涯を始める直前に、40日間の断食とお祈りをして空腹になったときに悪魔がイエスさまを誘惑することが描かれています。悪魔はイエスさまに石をパンにしてみろ、高い屋根から飛び降りてみろ、屋根の上から繁栄する街を見せて私を拝むならこれをあげるぞ、そういう誘惑をします。私たちに置き換えると、一生食べ物に困らないお金持ちにしてあげる、怪我や病気に一切ならないようにしてあげる、望むものは何でも手に入れることができるようになるというわけです。なんとも魅力的です。よく考えてみれば私たちの人生の目的や望みをかなえてくれるというわけですから、これは大変魅力的な誘惑です。私などすぐにはい、そうしますといってしまいそうです。でもイエスさまはこれらすべてを拒否されて、ご自分は神様だけを礼拝して、神様に仕えるのだと答えられるのです。

悪魔はどうやら私たちの心に住んでいるようです。怖い顔や恐ろしい存在としてではなく自分の欲望や願いを追い求める、そんなときに顔を見せるのです。大丈夫やっちゃえ、そうだ、自分が一番だよ、お金があれば何でもできるさ、そんなふうに誘惑するようです。

この悪魔の誘惑についての聖書は、私たちに自分の人生をあなたはどうやって生きていきますかということを問いかけています。自分のわがままや欲望を肯定する生き方、それともそういうものを超えてもっと大きな目的に向かって行く生き方を求めるのかという選択とも言えます。私たち人間の現実はいつだってこの悪魔の誘惑に負ける生き方の方をむしろ人生の成功者のように思わせます。誰だってお金に困らず、健康で、権力をもつ生き方にあこがれます。しかしイエスさまはそれを超える生き方をなさったのです。自分の欲望や思い通りの生き方ではない、傍から見ればなんであんな事するんだろうと思われるような、苦しんでいる人、困っている人、悲しんでいる人、そういう人に寄り添いながら自分を捨てていく、そんな生き方をするのです。

2月14日から始まる大斎節は、断食と祈りに象徴されるように、私たちが、自分本位の欲望や幸せを求める生き方から、神さまが求めておられる真の平和、愛に基づく隣人を支え、人々に仕えていく生き方を祈りながら考えるそういう時です。

香蘭女学校チャプレン  杉山 修一