チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2024年03月01日掲載

「苦しい時の神頼み」


 先日、始業礼拝の後、一人の生徒さんが、明日大学受験なので祈ってほしいと言ってこられました。私はその生徒さんのために心を込めて祈りを捧げました。先立つ今年のセンター入試の朝にも受験する生徒さんたちが集まって祈りを捧げました。学問の神様と言われる菅原道真を祀っている太宰府天満宮を始め日本中の天満宮、天神様などには多くの受験生が参拝して合格祈願の絵馬などを捧げているようです。それに対抗するようにキリスト教でも合格祈願をしているのかというと少し意味が違うように思います。人間は弱い存在でもあるため、困ったときや苦しいときに神頼みするという気持ちはとても良く理解できます。しかし、普段は神さまのことなど全く考えもしないし、祈ることもしないけれど入試のときだけ、また病気の時だけ祈るというのは少しご都合主義のご利益信仰のように感じます。

 私たち香蘭女学校では毎朝、必ず神さまのことを憶えて礼拝を捧げています。そして祈りの中で神さまに感謝するとともに、自分たちが悩み、苦しむときには神さま支えてくださいと願っています。それは日々神さまを意識して、生きていくということの表現でもあるのです。ですから受験のときに祈るということも、合格だけを勝ち取るために祈るのではなく、受験という試練のときに自分がそれまで精一杯努力し、準備してきたことを発揮できるように力を与えてください、導いてくださいと祈るのです。敢えて言えば合格だけを願うということではなく、受験する自分自身をイエスさまが共にいて支えてください、神さまが導いてください願うということなのです。私が受験生のために祈るのは私もその受験生とともに神さまに心からの導きと支えを祈るということなのです。

 有名な聖歌の453番は宗教改革を行ったマルチン・ルターの作詞・作曲によるもので、香蘭女学校の礼拝でもよく歌われます。「神はわがやぐら わが強き盾 苦しめるときの 近き助けぞ」という歌詞に始まる聖歌は、徹底した神さまへの信頼と私たちを守り、助けてくださるということの確信が歌われています。この聖歌はマルチン・ルターが詩篇46篇の「神は我らの逃れ場、我らの力。苦難のときの傍らの助け。それゆえ私たちは恐れない」という言葉から作詞したものです。受験だけでなく、わたしたちの人生のいかなる時にもイエスさま、そして神さまは共にいてくださるという強い信頼があることがわかります。

 3月5日から、いよいよ学年末テストが始まります。生徒のみなさんにとって、テストは正直いやなのではないかと思います。成績がよい人も、悪い人もおおよそ試験やテストの好きな人はあまりいないのではないかと思います。学校における様々テストはその人の勉強の進み具合を測ることに意味があるのですが、実際は点数化されて、序列化されて自分が判断される、そういうことが気になってとてもいやなもののようになってしまいがちです。良い点を取れば、ほめられ、そうでなければ叱られるなどということがあれば、もうテストは苦痛以外の何ものでもありません。しかし、テストは本来、自分のためにあるのですから、精一杯自分の力を出しきりましょう。みなさんは毎日毎日神さまに祈っていますから、テストや入試の前に祈ることも単なる「苦しいときの神頼み」ではありません。苦しいとき、困難なとき、自分が神さまに信頼を寄せていることを確認する意味でも、「イエスさま、わたしと共にいてください。弱い自分を強くしてください」と祈る祈りには真実な思いが込められています。それですからだれでもどんなことでも祈って欲しい時には遠慮せず申し出てください。一緒に祈ることはチャプレンにとっても喜びです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一